24歳山男の日記

愛は、人間のなかにある能動的な力である。人をほかの人々から隔てている壁をぶち破る力であり、人と人を結びつける力である。

自分の登山に関する歴史

大学から登山を始めてから今年で7年目になる。

ようやく今年、山登りを始めたころからの夢だったヒマラヤに行くことになった。

ここで、これまでの事をいったん整理したいと思う。

 

☆2011年5月 大学山岳部に入部。何かしら新しいことをしたいと考えていた。昔から自然が好きだったので、なんとなく山岳部に入った。

☆2011年7月 山岳部の合宿で17日間の夏合宿を行う。剱岳でのロッククライミング北アルプスのテント泊長期縦走(剱岳から標高0mの親不知まで)を行った。この合宿の辛さは今でも忘れることがない。重い荷物を背負って毎日10時間くらい歩かされ、雨と汗で服はぐしょ濡れなのに風呂にも入れず、泥だらけの狭いテントで毎日生活する。先輩の指示は絶対でほとんど気を抜ける瞬間はない。ストレスと空腹で20日間分の行動食と非常食は開始3日目ですべて食べつくした。合宿終了前日の夜に余った予備食を皆で食べることになったが、ドカ食いをした反動で腹痛に襲われ吐いてしまった。親不知に到着したときに眺めた海は今でも鮮明に覚えている。喜びよりも帰れる安堵が大きかったように思う。達成感は辛さが思い出になった時に訪れる。人生で一番つらかった体験だったが、一番頑張った体験だった。逃げ道のない状況になると人間は意外と頑張れることを学んだのではないだろうか。

☆2013年2月 大学二年生の終わりに同期と2人で鳳凰三山の縦走を行った。先輩のいない中での初めての合宿だった。結果はぼろぼろだった。テントポールは強風で折れテントは破れた。テントの中にいたはずなのに目を覚ますと星がキラキラ見えたのは強烈な記憶として残っている。天候がすぐ回復したのが幸運だった。道を何度も間違え計画と異なる沢筋を降りた。最終下山時刻に間に合わずヘリも呼ばれそうになった。最終的に警察が出動し、自力下山した後はパトカーで駅まで送ってもらった。精神的な弱さ、知識と技術不足、何もかも全然だめだと思い知った。先輩の後を歩いているだけでは自立した登山者にはなれないと身をもって理解した。体力だけでは山は登れない。

☆2013年3月 以前から山岳部の先輩に勧められていた、大学生登山リーダー冬山研修会に参加した。他大学の志高い山岳部員と出会い、日本トップクラスのアルパインクライマーに出会った。この時に出会った他大学の山岳部員とは今でも交流しているやつがいる。残念ながら山で死んだやつもいる。人との出会いは可能性を広げるが、出会うためには行動しなければならない。

★2014年3月 山岳部のコーチと部員が遭難した。部員はヘリで救助されたが、コーチは亡くなった。はじめて身近な人間が山で死ぬことを経験した。

☆2014年7月 他大学の友達にたまたま歩荷のバイトに誘われたのがきっかけで、登山旅行会社でアルバイトを始める。お金をもらいながら山に登る経験をした。歩荷をしたり、ガイドの補助をしながらバイトをした。

★2015年2月 大学生登山リーダー研修会で出会った他大学山岳部の同期が山で遭難した。彼とは一緒にクライミングをしたり、山に登ったりと、友達だった。初めて友達が死んだ。次は冬の北鎌尾根行こう、来年アラスカいこうぜ、なんて話していた矢先だった。すごく悲しかったが、なぜか山に対して怒りの感情が湧き起こったのを覚えている。

☆2015年3月 大学4年となり、同級生は卒業する時期。大学は中退した。4年間通ったのに取った単位は27単位。あともう4年通わないと卒業できないことが確定していたため、卒業はあきらめた。卒業は出来なかったけど、とりあえず山岳部だけは続けてきてよかったなと思った。中退に関しては、ノリで理系に進んだのが間違いだった。全く勉強が分からず、何度か一念発起して勉強したこともあったが、結局だめだった。自分は結局継続して頑張ることが出来ないのではないかと今でもあまり自信を持てない。まあ、どうせ卒業しても山関係の仕事をするだろうし卒業する価値はないと自分に言い聞かせ、登山旅行会社でのアルバイトを続けることにした。在学中から卒業する気はほぼなかったので、バイトはフルタイムでしていて、それなりに真面目に働いていたのでそのうち社員にしてくれるだろうと考えていた。

☆2015年9月? 初めてフリークライミングで11aの課題をRPした。小川山のルートだ。学生のころからクライミングジムに通ったりちょこちょこ外岩にも行っていたが、外岩で11台を登れたことは一度もなかった。なかなか継続してジムに通うことが出来ていなかったからだ。少し続けても、ぱったりやめてしまうということを繰り返していたが、この時期はしばらく続けていてようやく登ることができた。ちなみにこの頃ボルダリングジムでは3級がなんとか登れるようになっていた。

☆2016年1月 他大学の同期と3人で冬の北鎌尾根に登った。大学院1年生の友達、大学5年生の友達、フリーターの自分、というメンバーだった。夏に北鎌尾根に行ったり、谷川岳ラッセルしたり、越沢バットレスでアイゼントレーニングを何度かしたり、事前準備をしていた。大学山岳部の人間であれば誰だって冬の北鎌尾根に登りたいと思うし、自分もそのうちの一人だった。学生時代からあこがれていた北鎌尾根に登ることが出来たのはとても嬉しかった。ただ、天候はかなりよく一度も停滞がなかったので、「これで冬の北鎌をやったことになるのか」という釈然としない気持ちはあった。何はともあれ、一つの夢を実現した瞬間だった。正直、大した努力はしてなかったが、今まで自分の力で努力して夢を実現するという経験をしたことがなかったのでいい経験が出来た。

☆2016年3月 1月に北鎌尾根を登ったメンバーの一人と谷川岳一ノ倉沢に行った。初めて冬壁といえる場所を登った。冬の八ヶ岳でバリエーションを登ったり、アイスクライミングをしたりしてトレーニングをしていた。冬壁はアルパインクライマーと自称するなら避けては通れない課題だし、冬の北鎌尾根と同じく学生時代からの夢だった。ただ、この登山も釈然としない部分があった。アイゼンこそつけていたものの結構あたたかく素手で登れてしまった。これで冬壁をやったことになるのかと少し疑問だったが、北鎌尾根に続いて夢を実現し、充実した気持ちだった。

☆2016年3月 現在勤めている障害児施設で働くことになった。親が突然起業して、「お前も一緒にやろう」と言い出したのだ。バイト先は結構ブラックで仕事は大変だが社員になろうと思っていたし、山の仕事しか考えていなかったので、親の誘いは初め断った。が、最終的に言いくるめられてしまった。今でもこれでよかったのだろうかと振り返ることはよくある。親が嫌いだからだ。

 

☆2016年6月? ひょんなことから出身高校の山岳部の副顧問になった。もちろん非常勤だ。とある登山用品店をふらふらしていた時に、自分の出身高校の制服を着ている集団を見かけた。引率の先生らしい人に声をかけてみると、高校山岳部の顧問の先生で、新入部員の道具を買いに来ていたようだった。そこから色々と話が始まり、高校の山岳部の副顧問になった。たまに高校山岳部の合宿に同行している。正直あまりおもしろくないし、休日は潰れるしで面倒だ。しかし、声をかけることで世界は広がった。

★2016年7月 この頃から山に対するモチベーションはどんどん下がっていった。山には高校山岳部の合宿で行くくらいで、個人で山に行くことは無くなった。クライミングジムにも足が遠のくようになった。冬の北鎌尾根と谷川岳一ノ倉沢を登って、少し満足してしまったのだろうか。山と関係ない福祉の仕事を始めたし、学生時代からの山仲間も転勤で離れてしまったことも原因だ。また、この頃お金に余裕がでてきて、友達に誘われスロットにはまったり女遊びをしたりと山以外の楽しみを知ってしまったことも大きい。

 

☆2017年5月 ここで転機がやってくる。大学山岳部関係のプロジェクトとして、ヒマラヤ遠征が行われることになった。隊員を山岳部OBから募ることになり、立候補したところヒマラヤにいけることになった。現在に至る。

以上

回想録。